思い出のクラシック・ライブ


ショパン スケルツォ変ロ短調 キーシン 2011-11-10 NHKホール
エウゲニ・キーシンはサービス精神旺盛でたくさんのアンコール曲を弾く。この曲はキーシンのアンコールのほぼ定番となっていて、この曲が弾かれ始めると「ああ、もうアンコールの終盤だな」と感じる。
ところがある日のみなとみらいホール。彼がこの曲を弾き終わり疲れ果てて「もうオシマイにして」という眼差しを投げかけても聴衆はそれまで以上の拍手、リズムに合わせた拍手でさらなるアンコールのおねだり。
キーシンも負けじと悪ガキさながらに果敢にピアノに向かう。そんな繰り返しで十数曲のアンコールを弾き終わり下手に引っ込み、さらに下手から再登場した時はもうフラフラの状態。
聴衆もそんな姿を目にして一層の拍手を盛り上げ、感謝のブラボーと熱視線を投げかけたのである。ホールが明るくなった時、時刻は既に夜の11時近くとなろうとしていた。
コロナ禍以前、キーシンはほぼ隔年に来日し、主としてサントリーホール(東京)とみなとみらいホール(横浜)でコンサートを行っていた。
それらが収録され放送されることはほとんどなかったったため、今回は大騒ぎのその夜の演奏ではないが、NHKホールにおける演奏をアップする。
みなとみらいホールでは、最前列で演奏会後写真をパチリとしたり、サイン会の行列に並んだり、思い出の多いキーシン体験をたくさんさせていただいたのである。



ペルゴレージ スターバト・マーテル(悲しみの聖母) アバード指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団 1973-05-25 ウィ−ン・コンツェルトハウス
アバードのこの演奏はこの曲を初めて聴いた、もう半世紀も前の時のもの。ぜんぜん知らない曲だったのに、何故かすごい経験ができるような予感がして万全の録音体制を整えた。
聴き始めの冒頭から、その美しいソプラノ、メゾソプラノの独唱、二重唱、弦楽合奏のメロディーとハーモニーに感動し没入した。
全曲はあっという間に終わった気がして、しばらく頭の中に響く音楽を反芻したのちに、その新たなレパートリーの発見に驚喜したのである。
アバードは音楽家として重要なウィーンの地で、イタリアのリッチャレルリ、ルチア・バレンティーニ、ミラノ・スカラ座管を擁して、 自国の芸術を披露する最高の作品を選び大成功を収めたのである。
その後この曲の演奏に出会えば必ず収録し(タイトル・クリックで一覧)鑑賞の機会を重ねているが、自分にとってはいまだにアバードのこの時の演奏が最上最高のものと思っている。
後にイタリアのシエナを旅行した時にカンポ広場を囲む店の一つで、ドイツのシュトーレンのような固いケーキを発見し、それがリッチャレルリという名であるこのを知って早速買って帰り、長い間美味しく食べた。
では、今回はその全曲をお聴きください。



チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調:悲愴 マルケヴィッチ指揮NHK交響楽団 1983-01-12 NHKホール
この演奏を聴いた時、多くの「悲愴」体験の中でも、過去にない強烈な独特の盛り上がりを感じて興奮してしまったのである。その箇所は第1楽章再現部のクライマックス部分。
主題に乗せたティンパニの連打にかぶせてトロンボーン群が力強く咆哮する中、背景から息の長いトランペットのクレッシェンドが高らかに鳴り響く。
1983年のこの日までこのような劇的な演奏には出会ったことはなかった。完璧なバランスを保ったカラヤンの演奏とはポリシーが異なりバランスを欠いているかもしれない。
でもその訴える力は並大抵ではなく、一聴にしてこの演奏にとり憑かれたのである。悲愴は必録曲なのだが、まずはこの部分を聴いて好きになれそうかどうか判断している。
ではその部分を、当日の演奏、マルケヴィッチ指揮、NHK交響楽団で

次にその部分を更にこってりとテンポを保って表現しつくした、チェリビダッケ指揮、ミュンヒェンフィルの1992年の演奏で

最後に、マルケヴィッチ、NHK交響楽団の演奏で全曲をどうぞ、奇跡の演奏です



ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 カラヤン指揮ベルリンフィル 1973-10-26 NHKホール(生中継)
前回のブルックナー交響曲第4番、1970年東芝EMIから出たカラヤン、ベルリンフィルのカップリングとなったもう1曲、ブルックナー交響曲第7番についてご紹介しなければなりません。
ブルックナー演奏は現在のように詳しくあれこれ研究されてその成果が演奏につながっていたわけではないので、版の違いなどはあまり気にしていませんでした。
ところがカラヤンの第7番を聴いて驚いたのは、第2楽章のコーダが従来のものとは全く異なる印象だったことです。この演奏にも完全に打ちのめされて、以降これが判断の基準となりました。
従来の演奏ではこのコーダ部分が管弦楽の総奏で鳴り響きますが、カラヤンの演奏では加えて強力なシンバルやティンパニ、太鼓の連打が曲を支配し、そのテンポと音程の変化がなんとも心憎い。
あとから考えると版の違いだったわけですが、版といってもブルックナー演奏では微調整が加わることが多く、原典版、ノヴァーク版、ハース版などといっても、一意に確定していないのです。
まずは、朝比奈隆、大阪フィルの1980年の演奏(ハース版 第2楽章コーダ部分)

続いて、カラヤン、ベルリンフィルの1970年のEMIのカップリング演奏(ハース版 第2楽章コーダ部分)

最後に、伝説の名演奏として語り継がれている1973年10月26日NHKホール生中継の演奏(ハース版 全曲)



ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調:ロマンティック カラヤン指揮ベルリンフィル 1975-04-19 ベルリン・フィルハーモニー
1970年に東芝EMIからカラヤン、ベルリンフィルのブルックナー、交響曲第4番と第7番のカップリング(LP3枚)が出た時は衝撃だった。
当時ブルックナー演奏は黎明期ともいえる状況で、まだ数少ない演奏をその良しあしなどとは関係なく、とにかく曲を知りたいという思いで聴き始めていた頃である。そんな中これらのLPは・・・
あこがれのカラヤン、ベルリンフィルが真正面から取り組み決定版として世に問うた感がし、万感の思いをもって聴いた曲である。結果、完全に打ちのめされて、以降これが判断の基準となった。
第4番では第1楽章の冒頭、弦楽セクションがトレモロの後、なだれを打って入ってくる際に、先陣を切ってミシェル・シュヴァルヴェの弦と弓がこすれる「ヒューっ」という音に心底震え痺れた。
LPから5年後、1975年のライブでお聴きください

当初のLP音源をCD化したものから第1楽章の抜粋(冒頭部分と再現部の2回出てきます)



サリネン 交響曲 オッコ・カム指揮 フィンランド放送交響楽団 1972-09-11 ヘルシンキにて
シベリウスやグリーグでよく知っていた北欧音楽がこのような現代音楽に発展したことを初めて知り、現代音楽を抵抗なく受け入れることができた思い出の曲です。
長い持続音となだらかにうねる管弦楽の響き、弦、管。打楽器のアクセントがファンタジーの世界にいざなってくれます。日本人に好まれるのではないでしょうか
半世紀前に生まれたこの曲、当時はサリネン初めての交響曲だったので番号はつけられていませんでしたが、今では交響曲第1番となっています。



R・シュトラウス アルプス交響曲 ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団 2016-11-17 シカゴ・オーケストラホール
Bernard Haitink 引退して2年、悲しい訃報に接していろいろな思い出がよみがえる。最初の出会いは1969年のロンドン・フィルとの来日。まだクラシックを聴き始めた駆け出しのころであった。
その後ワインが熟成するかのように着実に円熟を極め、ベーム、カラヤン、ショルティ、・・・数多の巨匠亡きあと、正統的なクラシックの醍醐味を堪能させてくれる信頼の指揮者となっていった。
追悼コーナーで偲ぶには足りないくらいのあまりにも多くの音源遺産を残してくれた。ここではちょっと珍しい最近のシカゴ、リヒャルト・シュトラウスの名曲をアップする。



ベートーヴェン交響曲第3番エロイカ全曲 ラファエル・クーベリック指揮 ウィーンフィル 1971年 ザルツブルク音楽祭
Raphael Kuberik といえば、ボヘミア、わが祖国、マーラーなどとともにその印象が語られる。
ところがまだ名声定まらない1971年において、ここれほどに後期ロマン情感をたたえた演奏を展開していたことに感嘆する。
彼の構想はプレゼンスを大きく拡大し、音符一つひとつがたっぷりと鳴り響く。
ウィーンフィルの弦楽器のふくよかさとおおらかさ、そしてブラス・セクションのボリュームたっぷりの咆哮が、
古典を脱皮しロマンの世界に入りかけたエロイカを熱い響きの作品へと押し上げた。今回は全曲をアップする。
ベートーヴェンの可能性を最大限に発揮して見せたこの時期のエロイカの決定版ではないだろうか。



♪ ブルックナー交響曲第9番第1楽章 セルジュ・チェリビダッケ指揮 南ドイツ放送響 1972-05-13 シュヴェツィンゲン・シュパイアー・ドーム
Sergiu Celibidache 日本でライブ演奏が紹介された時その驚きは格別であった。入念、完璧に自己の音楽観に基づく彫琢を実現し聴衆にも極度の集中力と緊張を強いた。
ドームの残響は長いが音楽は明瞭に響いている。その後のミュンヘンフィルに比べてはるかに攻撃的で上昇開始の旬を感じる。時折聞こえる叫び声に緊張は解放される。



ブルックナー交響曲第9番第1楽章 オーガン・ドナルク指揮 フランス放送新管弦楽団 1981-05-08 シャンゼリゼ劇場
Ogan Durjan'Narc(オハン・ドゥリアンともいう)2011年に89歳で亡くなるまで常に謎の指揮者であった。今も彼の演奏に接するのは極めて困難である。
彼のブルックナーのテンポの遅さは驚異的でそれが意識の没入と深淵な鑑賞へと導いた。第1楽章だけでもチェリビダッケより3分以上、全体では10分以上長い。